映画『ひまつぶしつぶし』は、特別な事件も大きなドラマも起こらない、ごく普通の一日を描いた作品である。しかし、その「何も起こらなさ」こそが、この映画の一番の特徴だ。主人公が暇な時間をどう過ごすかをきっかけに、「人はなぜ暇を嫌うのか」「何もしない時間は本当に無駄なのか」ということを考えさせる、いわば一つの思考実験のような映画である。
主人公は三十歳の会社員・高橋。仕事はそれなりに忙しく、特に大きな不満もない。ある金曜日の夜、高橋は翌日の予定が何もないことに気づく。友人から誘いが来るわけでもなく、見たい映画があるわけでもない。そこで彼は、「明日は暇だな」と思う。
最初は、その程度のことだった。
しかし高橋はふと、「暇って何なんだろう」と考える。何もすることがない状態を暇というのなら、寝ている時間も暇なのだろうか。好きな音楽を聴いている時間は暇ではないのか。では、何もせずにぼんやりしている時間はどうなのか。
気になった高橋は、翌日、一日だけ「暇をつぶすことを禁止する」と決める。
朝起きても、スマートフォンを見ない。テレビもつけない。動画も見ない。本も読まない。ゲームもしない。散歩をすることすら「暇つぶしになりそうだから」という理由でやめる。
最初の一時間は苦痛だった。
何かをしなければいけない気がする。しかし、何をすればいいのか分からない。部屋を片づけようと思うが、それも暇つぶしのように思えてくる。冷蔵庫を開けて、何もないことを確認して、また閉める。時計を見る。まだ午前十時である。
高橋は「暇をつぶしてはいけない」という自分で決めたルールに、少しずつ追い詰められていく。
昼になると、彼は近所の喫茶店に入る。注文したコーヒーが来るまでの数分間、何もすることがない。普段ならスマートフォンを見る時間だ。しかし今日は見ない。
すると、高橋は店内の音に気づく。
隣の席の食器の音、厨房から聞こえる水の音、外を走る自転車の音。窓の向こうを歩いている人の表情。いつもなら存在していることすら意識しなかったものが、少しずつ目に入ってくる。
そこで彼は、「暇」というものについて、別の考え方をするようになる。
暇とは、「何もない時間」ではなく、「何かをしなければならない理由がない時間」なのではないか。
そう考えると、暇は必ずしも悪いものではない。
しかし同時に、高橋は別の疑問にも気づく。もし暇が自由な時間なら、なぜ自分はこれほど不安になるのか。
彼は考える。
何かをしていれば、自分が何者なのかを考えずに済む。仕事をしている間は「会社員」でいられる。映画を見ている間は「映画を見ている人」でいられる。SNSを見ていれば、他人の人生を眺めている自分でいられる。
では、何もしていないとき、自分はいったい何者なのか。
その問いから逃げるために、人は暇をつぶしているのではないか。
午後、高橋は久しぶりに実家へ電話をする。母親との会話は特に重要な内容ではない。昔の近所の話や、最近食べたものの話をするだけである。しかし電話を切った後、高橋は、自分が最近「何かをしている時間」ばかりを大切にして、「誰かとただ話す時間」を無駄だと思っていたことに気づく。
夕方になると、高橋は散歩に出る。
今度は「暇つぶしになるかどうか」を考えない。
目的地も決めずに歩く。公園のベンチに座る。子どもが遊んでいるのを見る。風が少し冷たくなったことに気づく。
そして高橋は、「暇をつぶす」という言葉そのものについて考える。
暇は、まるで敵のように扱われている。「暇だから何かしよう」「暇をつぶそう」と言うとき、そこには、暇な状態には価値がないという考えが隠れている。
しかし、本当にそうなのだろうか。
もし人生のすべての時間を「意味のあること」で埋め尽くしたら、それは本当に豊かな人生なのだろうか。
映画の最後、高橋は夜、自宅のベランダに出る。スマートフォンを持っているが、画面はつけない。何かを考えるわけでもない。ただ暗い空を見る。
数分後、高橋は小さく笑う。
「暇だな」
そして、その言葉を今度は嫌そうには言わない。
映画はそこで終わる。
『ひまつぶしつぶし』を見てまず感じたのは、とても静かな映画だということだった。大きな出来事はほとんどなく、主人公は一日中、自分の考えていることと向き合っている。しかし退屈には感じなかった。それは、映画そのものが「暇」というテーマを実際に観客に体験させているからだと思う。
特に印象に残ったのは、「暇をつぶすことをやめる」という単純なルールが、主人公にとって意外なほど難しいことだ。私たちは普段、少しでも時間が空くとスマートフォンを見たり、動画を見たり、何かを検索したりする。それが当たり前になっているため、「何もしない」という行為のほうが、むしろ特別なことになっている。
この映画は、暇を肯定するだけの作品ではないところも面白い。暇な時間があれば、自分自身と向き合える。しかし、自分と向き合うことは必ずしも楽しいことではない。だからこそ人は暇をつぶすのかもしれない。
仕事、趣味、娯楽、人との会話など、何かをしている間は、自分について深く考えなくてもいい。しかし何もすることがなくなると、「自分は何がしたいのか」「今の生活でいいのか」といった、普段は避けている疑問が出てくる。
そう考えると、「暇つぶし」は単なる時間の消費ではなく、自分から逃げるための行為でもあるのかもしれない。
一方で、だからといって暇をつぶしてはいけないという話でもない。映画の主人公も最後には散歩をしたり、母親に電話をしたりしている。重要なのは、それらを「暇だから仕方なくする」のではなく、「自分がしたいからする」という違いなのだと思う。
この映画を見て、自分自身も普段、暇になることを必要以上に恐れているのではないかと思った。何も予定がない休日があると、何かしなければもったいないような気がする。しかし、何もしない時間があるからこそ、自然に浮かんでくる考えや、ふとやってみたくなることもある。
『ひまつぶしつぶし』というタイトルは、最初は「暇をつぶす」という言葉を面白く言い換えただけに見える。しかし最後まで見ると、「暇をつぶさなければならない」という思い込みをつぶす、という意味にも思えてくる。
暇は、なくすべきものではない。
暇になったとき、何かをするのもいいし、何もしなくてもいい。
この映画が伝えているのは、おそらくその程度のシンプルなことなのだと思う。ただ、その「それだけのこと」を一日かけて考えさせてくれるところに、この映画の面白さがある。
映画を見終わったあと、少しだけスマートフォンを置いて、何もせずに過ごしてみたくなる。もしかすると、その時間こそが、この映画にとっての本当の「ひまつぶしつぶし」なのかもしれない。






