『惰行』は、ある企業で長年続けられてきた「業務日誌制度」を題材にした社会派ドラマである。
派手な事件もなければ、権力者との激しい対立もない。映画全体を通して描かれるのは、本来の目的を見失った制度が、それでも当たり前のように運用され続ける組織の姿だ。
その静かな描写は、多くの会社員にとって決して他人事ではないだろう。
主人公の佐伯は、中堅メーカーの総務部に勤める会社員である。
真面目で責任感があり、組織のルールを頭ごなしに否定するような人物ではない。
むしろ仕事を効率よく進めることや、組織がより良く機能することに価値を見出している。そのため、会社が新たに導入した業務日誌制度についても、当初は一定の意義があるのだろうと考えていた。
制度の説明会では、「コミュニケーション活性化」「企業文化の醸成」「社員同士の相互理解」といった言葉が並ぶ。社員が日々の業務や気づきを共有することで、部署を超えた理解が深まり、組織全体の改善につながる。説明だけを聞けば筋は通っている。佐伯も最初は真面目に日誌を書き、業務を振り返りながら改善点や反省点を記録していた。
しかし数か月が経つ頃には、制度と現実の間に大きな隔たりがあることに気づく。
社内システムには毎日膨大な数の日誌が投稿されている。しかし実際に読まれている形跡はほとんどない。上司から返されるコメントは定型的なものばかりで、内容に触れている様子は見受けられない。社員たちの日誌も、「本日も業務を遂行した」「特記事項なし」といった文章が大半を占めるようになっていた。
佐伯はそこで初めて疑問を抱く。
制度の理念そのものに反対なのではない。
問題は、掲げられている目的が本当に達成されているのか誰も説明できないことだった。
毎日十五分から二十分。
個人で見ればわずかな時間かもしれない。しかし全社員がそれだけの時間を費やしていると考えれば、決して無視できないコストである。
その時間によって組織が改善されているのなら理解できる。しかし成果を示す具体例は誰も挙げられない。
佐伯は次第に、制度の存在理由そのものについて考えるようになる。
本当に情報共有のためなのだろうか。
本当に社員の声を吸い上げるためなのだろうか。
もしそうであるなら、なぜ誰も内容を読まないのか。
もしそうであるなら、なぜ改善につながった事例が存在しないのか。
彼の中で違和感は少しずつ大きくなっていく。
印象的なのは、佐伯が会議で制度の見直しを提案する場面である。
彼は感情論を語らない。日誌作成にかかる時間を試算し、頻度を週一回に変更する案を提示する。
目的を維持しながらコストを削減できる合理的な提案だった。
しかし部長は、「続けることに意味がある」と答える。
その言葉を聞いた瞬間、佐伯はある種の行き止まりを感じる。
なぜなら、その発言は制度の効果について説明していないからだ。
成果があるから続けるのではない。
必要だから続けるのでもない。
続いているから続ける。
そこには検証も改善も存在しない。
制度が目的ではなく前提になってしまっているのである。
さらに上層部はこの制度を高く評価していた。役員会では「社員の声を吸い上げる重要な仕組み」として紹介され、制度そのものを見直す雰囲気はない。
佐伯が不思議に思うのは、制度を支持する人間が多いことではない。
むしろ反対する必要性を感じている人間がほとんどいないことだった。
同僚たちは制度を面倒だと思っている。
しかし同時に、深く考えることもやめている。
「どうせ変わらない」
「そういうものだから」
そんな言葉が繰り返される。
ある社員は文章を自動生成ツールに作らせている。
ある社員は過去の日誌を流用している。
誰も制度の価値を信じているようには見えない。
それでも提出だけは続けている。
佐伯は次第に、制度を維持しているのは上層部だけではないことに気づく。
意味を疑いながらも従い続ける人々の存在そのものが、制度を支えているのだ。
映画中盤から、佐伯は少しずつ日誌を書くことをやめ始める。
それは反抗ではない。むしろ一種の検証に近い。
本当にこの制度は必要なのか。
もし自分が提出しなかったら何が起きるのか。
最初は数時間遅れるだけだった。次は翌朝に提出した。
やがて空欄の日も増える。しかし何も起きない。
自動督促メールは送られてくるが、それ以上の反応はない。
誰も内容を確認していない。誰も気づいていない。
その事実は、佐伯に制度の本質を確信させる。
この制度は情報共有のために運用されているのではない。
社員の声を集めるためでもない。
提出されたという事実だけが管理されているのだ。
内容は重要ではない。継続しているという形式だけが残っている。
映画はこの空虚さを実に静かに描く。
一方で、佐伯は日誌作成に使っていた時間を別の仕事へ振り向ける。
放置されていた備品管理表を整理する。
取引先との連絡手順を改善する。
その結果、目に見える形で業務効率は向上する。しかし評価はされない。
この対比は非常に示唆的だ。
組織にとって本当に有益な行動と、組織が評価する行動が一致していない。
佐伯はその状況を前に、怒るというよりも困惑しているように見える。
なぜ成果より形式が優先されるのか。なぜ誰もその矛盾を問題視しないのか。
映画は最後まで明確な答えを与えない。
終盤、制度導入三周年の記念式典が開かれる。
役員は壇上で、「この制度によって社員の結束力が高まった」と語る。
その直後、サーバー障害によって数年分の日誌データが消失する。
復旧は不可能だった。
膨大な時間をかけて蓄積された記録が、一瞬で失われる。しかし社内は驚くほど平静である。
業務に支障はない。困る社員もいない。
誰かが必要としていたはずのデータは、消えても何も変えなかった。
この場面は制度の無意味さを声高に批判するのではなく、観客自身に考えさせる力を持っている。
もし失われても誰も困らないのであれば、その記録は何のために存在していたのか。
ラストシーンで佐伯はいつものデスクに座る。制度は一時停止中だ。
再開されるのか、廃止されるのかは分からない。
彼は久しぶりに定時前に仕事を終え、窓の外の夕景を眺める。そこに達成感はない。勝利もない。
ただ、自分が長い間抱き続けていた疑問が間違っていなかったことだけが静かに示される。
本作の優れている点は、悪人を設定していないことである。
役員も上司も決して悪意を持っていない。むしろ皆が善意で制度を維持している。しかし、その善意の積み重ねによって誰も制度の目的を問い直さなくなっている。
特に印象的なのは、佐伯が改革者として描かれていないことだ。彼は組織と戦わない。英雄的な行動もしない。
ただ合理性を求め続け、その答えが見つからないまま少しずつ距離を置いていく。
タイトルの『惰行』も見事である。
本来は動力を失った乗り物が慣性だけで進み続ける状態を意味するが、この映画では目的を失いながらも走り続ける組織そのものを象徴している。観終わった後、自分の職場にも似たような制度が存在しないか思わず考えてしまう。派手さはないが、現代の会社員にとって極めて切実なテーマを描いた作品だった。






